猫とワタシ

PEARLの日記

今日はどんなうれしいことを発見するかしら?

この記事のみを表示する梅の香り

日記


目を閉じて感じる空気中を漂う梅の香り。

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この記事のみを表示する優悠茶

日記


咲いた咲いた~♪


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この記事のみを表示する思いがけないFDC

手紙

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友達から驚きのお宝FDCが送られてきた。
その友達は郵趣にはそれほど興味の無い人だったが、
消印と切手好きの友達がいると私のことを離れて暮らす
お父様に話したところ、実はそのお父様が若かりし頃に
切手と初日印コレクターであったことが発覚。
今はもう興味が無いとのことだが、当時のコレクションは
今でも持っていらして、その中にはまだ返還される前の
沖縄の切手も有り、単位が「¢」だったと手紙に書いてあった。
このFDCはプレゼントしてくれたのだが、一番嬉しかったことは、
その友達が、お父様とは普段共通の話題が少なくて会話が
長続きしないけれど、このことでその日はとても盛り上がって
楽しい時を過ごせたと書いてあったことだった。



この記事のみを表示する最近のアニメーション

日記

ポスクロ(Post crossing)をしていると海外の人たちの
趣味趣向を知る機会を与えられるのだが、このところ
驚かされるのが日本の漫画やアニメの信じ難い浸透
振りである。ポスクロのプロフィールは英語で表記され
るのだが、何だか知らない単語が並んでいるなぁ、と
ネットで調べてみると、それが日本のアニメの題名で、
且つ日本人の私が全くそれらを知らないという事実に
直面するのである。

私にとってアニメと言えば、ジブリ映画を除けば
「明日のジョー」「銀河鉄道999」そしてカルピス劇場。
どれも名作揃いだが、もはや過去の産物。今の若い
人たちにとっては骨董と言っても過言ではないであろう。
大人になってから見たものは「十二国記」だが、それでさえ
随分前のことだ。今はクールジャパン等と言って無視出来
ないほど日本の文化としての広がりを見せるアニメの世界。
でも正直言って、私はこの現象をかなり斜めに見ていたと思う。
良く知らずに言うのもなんだが、そもそも日本文化とは認識
したくないようなヘンテコなものも多いみたいだし、女性声優の
甘ったるいどこから出してるのか分からないような声も非常に
苦手だ。

このように多少の偏見も持ちつつ、あまりにも無知であることを
実感していた矢先、新聞にこれから放送されるお薦めアニメの
特集が有ったので、私でも興味を持てるものがあるかもしれない
と読んでみた。そこで、これは大丈夫そうと思った2作品が
「昭和元禄落語心中」と「僕だけがいない街」である。なぜか
アニメは深夜に放送しているため、常に録画して見なければ
ならないのが面倒だが、この2作品は見始めてすぐに面白いと
感じた。

昭和元禄落語心中」は、落語家の話だがストーリーの面白さも
さることながら、アニメと言えども所作の美しさや豊かな表情に
見られる心の動きに目を奪われ、艶のある声と語りにすっかり
惹き込まれてしまう。うまい落語と下手な落語を使い分ける声優
たちの手腕に感服させられるし、音楽がとってもステキだ。そこで
表現されているもののクオリティの高さが見る者の心にさざ波を
起こすような感じがして心地良い。

僕だけがいない街」はサスペンスで、小学生の時に児童虐待を
親から受けていた同級生が行方不明になり殺されてしまったという
経験を持つ主人公がリバイバルという特殊能力を使って過去に
タイムスリップし、何とか殺された子を助けようと奮闘する。
緻密なストーリー展開が毎回切なさを増していき、その後の
展開から目が離せない。

そういうわけで、未知というものは思いもしない角度から切り込み、
新しい世界を広げて見せてくれるものだと改めて思う今日この頃。




この記事のみを表示するL.M.モンゴメリ 『黄金の道』 より

PEARL

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「あなたに会う人はみんな、
あなたの生きている間ずっと、
あなたを愛するでしょう。」





この記事のみを表示する部活動

手紙

本日はミッフィーの切手発売日。
京橋郵便局へ初日印を取りに行く。


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その足で目白へ移動。
「愛の切手展」を開催中の切手博物館へ。
世界各国のハートやヴァレンタイン用の切手が
展示されており、並行してアルフォンス・ミュシャの
切手大特集。私の好きな椿姫の展示も有ったので
満足する。

こちらはアンの友達向け。


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初日印でも風景印でも何でも、私は集める
ことには興味が無く、マキシマムカードも
作ったら写真に残して、実物はお手紙を
書いて郵送する。
手紙を書くこと、送ることに喜びを感じる。
今日もミッフィー4通、ハートは3通。
勝手にこちらが書いているだけだけれど、
手紙を書く相手がいることが一番嬉しい。

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この記事のみを表示する真保裕一 『赤毛のアンナ』

「赤毛のアンナ」のタイトルは「赤毛のアン」とは切り離せない
内容であることを明白にしており、章のタイトルも「アンナの青春」
「アンナの愛情」「アンナをめぐる人々」等々赤毛のアンのシリーズを
真似ていて、アン好きはますます期待に胸を膨らませる。
しかし、読んでみればそこは真保ワールド。
少女向け文学作品などでは有り得ない。

主人公は赤毛のアンに憧れている女の子だが、ストーリーは
非常に現実的なものだ。だからこそアンへの憧れは強まるし、
そこが心の逃げ場の一つとなる。アンが空想の世界で精神を
自由に羽ばたかせていたように。

改めて気付かされたことがある。
グリンゲイブルズに来る前のアンは決して幸せではなかったということ。
それは勿論書いてはあるのだが、あの小説はその後の生活で幸せを
掴んでいくストーリーであるから殆ど語られることはない。語られても
そこに現実味は感じられない。アンはアンナと同じようだったのかと思うと
描かれていない現実が見え隠れして愕然としてしまう。真に理解して
いなかったことに気付くのだ。もっと言えばあまり辛いことがアンの身にも
起こっていたかもしれないなどとは読者は考えたくもないのである。

例えば、アンが自分の身の上話をしてマリラが胸を痛めるシーンが
冒頭にあるが、アン自身が話すことによって悲壮感はかなり薄れている。
あの双子が3組いる家で馬車馬のように働かせられていたアンの境遇や
言われた暴言などの実態を深く考えれば、幼児虐待に近いものがあるし、
語られない部分を考えれば、それはもう知りたくない現実であるかも
しれないのだ。でもそれは赤毛のアンの話。アンナの方は逃げる事の
出来ない現実を生きている。アンと対比すればするほどその現実は
ますます悲壮感を強めて読者に伝わっていく。
しかし、そんな中にあってもアンナにとってアンは常に希望であり続ける。
そして、希望は現実の中にありうるのだということをアンナが心で
理解する日が近いことを示唆して小説は終わる。

何と言うか、アンナの物語を読むことで”赤毛のアン”という小説を更に
深く追求し、理解した感じになるこの不思議さ。
でも、最後はちょっと拍子抜け。あれ、これで終わり?みたいな感じで。
この小説をサスペンスと言うのであれば、もう一捻りあっても良かったかなぁ。


この記事のみを表示する老舗の洋食

うましかて




友達のお誘いで人形町の老舗洋食屋「芳味亭」へ。
年季の入った木造の二階建て一軒家。
昔懐かしい雰囲気でとても寛げる。
人形町は戦火を逃れた場所だからこのような老舗が
そのまま多く残っていると何かで読んだ。
注文したのはビーフスチューとカニコロッケとメンチカツの
入った定食。やっぱり色々食べたいものね。
シチューじゃなくて”スチュー”というのが老舗らしい。
旨し糧。
とっても満足。


この記事のみを表示する立春大吉

日記



冬が好きな理由はいくつか有るけれど、
一番の理由は寒さの中ではいつも希望を感じられるから。
凍えるさの中で春を待つのは、希望を感じているのと同じ。
冬の間、春は常に希望なのだと思う。

「冬が厳しいからこそ、春の訪れは感動的です。」
今日のほぼ日手帳にも書いてある。


この記事のみを表示するこんなシバれる日には

うましかて

実家のあんこう鍋に呼ばれる。
今日みたいな寒い日にはお鍋が最高。
体も心もほっこりあったまる。